【ドイツ】ブレーメン佐藤恵允(ケイン)はハーフ?両親や家族構成も調査

【ドイツ】ブレーメン佐藤恵允(ケイン)はハーフ?両親や家族構成も調査

U-23日本代表のメンバーである佐藤恵允選手。ドイツでプレーしている、いわゆる「海外組」の一人ですよ。今回は佐藤恵允選手の家族などについて調査しました。

佐藤恵允の父親は?

佐藤恵允選手のお父さんはコロンビア人です。佐藤恵允選手は日本、東京で生まれ育ったものの、「英語を話せるようになって損することはない」と、幼少期から英語の勉強をさせてもらっていたそう。お父さんとの日常会話も英語で行っていたようです。

お父さんも日本語で話すことはできるそうです。ただ佐藤恵允選手は「面倒くさいので日本語で返すと、英語で返せよと言われた」と話しています。当時は少し面倒だったかもしれませんが、英語を習得していたことは後々になって活きたのですね。

佐藤恵允の母親は?

佐藤恵允選手のお母さんはメディアでも日本人と紹介されています。そのため、佐藤恵允 選手はハーフということになりますね。ただ佐藤恵允選手のお母さんについて「日本人とどこか他の国のハーフ」という噂もあり、佐藤恵允選手本人はクォーターだとする説もあるようです。

お母さん曰く、佐藤恵允選手はあまり自分の弱いところを見せないタイプ。手伝いや助けを求めることは少ないらしく、親としても心配だと語っていましたよ。

佐藤恵允の兄は?

佐藤恵允選手はお兄さんの影響で5歳からサッカーを始めています。お兄さんも子供の頃にサッカーをしていたのかもしれません。

また、サッカーを始めたときから海外を意識していたという佐藤恵允選手ですが、その理由の一因に「小さい時から毎日のようにプレミアリーグを見ていた」ことがあげられるようです。

佐藤恵允選手はマンチェスター・ユナイテッド、お兄さんはテルシー、更にお父さんはアーセナルが好きだったため、喧嘩みたいになることもあったそうですよ。

佐藤恵允の経歴

ここからは佐藤恵允選手の経歴について紹介します。

バディSC世田谷でサッカーを始める

バディSC世田谷でサッカーを始めた佐藤恵允選手。当時のチームメイトには現在J・リーグ、FC東京でプレーしている岡哲平選手もいましたよ。なんでも、佐藤恵允選手と岡哲平選手は大学でも同期になったのだとか。

小学生の頃の佐藤恵允選手は、本人曰くテクニシャンで、プレーではドリブルばかりをしていたそう。純粋に得点を取るのが好きだったため、ゴールを目指してサッカーをしていたのですね。バディSCでひたすら走り、メンタルと体力が鍛えられたそうです。

中学時代は「遠藤サッカーアカデミー」でプレー

中学生時には元日本代表のDF、遠藤雅大氏が主宰する「遠藤サッカーアカデミー」に加入しました。監督を務めていたのは遠藤雅大氏のお父さんだったのですが、その監督の教えが興味深かったために遠藤サッカーアカデミーでのプレーを選んだそうです。

小学6年生の時にそういったことを考えてチームを選べるというのも素晴らしいことですよね。遠藤サッカーアカデミーでは状況を切り取った場面での細かい先述や、個人戦術を学びましたよ。

中学時代の佐藤恵允選手のチームでの立ち位置は、本人曰く「中心のちょっと下くらい」だったそうです。

実践学園高等学校に進学

高校は東京の私立、実践学園高等学校に進学しました。1学年でも4、5チームに分かれるほどの大所帯だった実践学園高等学校。最初は一年の中でもニ番目ぐらいのチームに甘んじていた佐藤恵允選手ですが、3年時には背番号10をつけるほどに成長しましたよ。

高校の大会では目立つ実績を挙げられなかった佐藤恵允選手、それでも明治大学サッカー部のスポーツ推薦を得ることができ、明治大学文学部へ進学しました。

(番外)明大スポーツ第531号 佐藤恵允インタビュー拡大版 前編 – 明大スポーツ新聞部 (meisupo.net)

明治大学でベストイレブンに選出

明治大学でも最初は苦しい立ち位置にいた佐藤恵允選手。周りの優秀かつ有名な選手に気後れしてしまっているところがあったそうですが、それでもひたすら練習を続け、2年時には開幕スタメンを勝ち取ります。

以降トップチームに定着した佐藤恵允選手は、3年次に10番を背負い、チームを関東リーグ優勝に導いて、自身はベストイレブンに選ばれました。4年次には副主将にも就任、チームの主力として活躍しましたよ。

また、大学2年次にU-23の日本代表に選出されており、以降も若い世代の日本代表の常連となっています。

ブンデスリーガに挑戦!

大学卒業後の進路が注目されていた佐藤恵允選手ですが、最終的にJリーグを経由せず、ドイツ・ブンデスリーガのヴェルダー・ブレーメンに加入することとなりました。まずはセカンドチームにあたるU-23から挑戦することとなりましたよ。

7月に明大サッカー部を退部し、ドイツに渡った佐藤恵允選手。ですが大学自体は無事に2024年3月に卒業できたようです。

本人は「明治で4年間やりきりたいっていう想いはあった」と、退部には葛藤もあった模様。それでも監督の後押しもあり、「明治を途中で抜けるからには、必ずチャンスをつかまなきゃいけない」と、並々ならぬ想いでブンデスリーガへ挑戦しましたよ。

最後に

今回は佐藤恵允選手の家族や経歴について紹介しました。

明治大学入学時はあまり知られた存在ではなかったものの、四年間で大いに飛躍しブンデスリーガへと挑戦するまでになった佐藤恵允選手。日本代表としてもその実力を大いに発揮して欲しいですね!